尊い命が失われたことに深い哀悼の意を表するとともに、被災された皆様へ心よりお見舞いを申し上げます。

3年という月日は、早いものでした。それ以前の自分が考えていたことや、何を価値観として生きていたかということは、今となっては簡単には思い出せません。僕があの夜、停電中の小さな避難所で、寒さに震えながら毛布の中で立ち上げた prayforjapan.jp というWebサイトは、現在までに世界200ヶ国近くから、1000万人以上が訪れて、12の言語に対応しています。

『PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日』初稿のゲラ(2011年4月初旬頃)

『PRAY FOR JAPAN – 3.11 世界中が祈りはじめた日』初稿ゲラ

2014年3月11日現在までに、サイトをもとに発刊された『PRAY FOR JAPAN – 3.11 世界中が祈りはじめた日』の書籍、アプリ、電子書籍も含めた印税から、5,017,480円 を被災地の被災遺児・被災孤児の支援を目的とした4つの団体・自治体に対して寄附しました。本を手にとって頂いた皆様、本書を作るためにご寄稿を快諾頂いた皆様、80名を超える世界各国の翻訳ボランティアの皆様(ネット上だけで一度も会ったことがないにも関わらず、本当に献身的にご協力を頂きました)、すべての関係者の皆様に、深く感謝を申し上げます。

非常に残念な話ですが、先月2月12日〜14日にかけて、prayforjapan.jpのサイトと個人ブログ(当時、同じサーバーにあったもの)に対して不正アクセスの痕跡があり、念のためデータを全てバックアップを取った上で、サイトは一時的にクローズさせています。今後、自分でインフラやログ監視ができるクラウドサーバーに移転を検討しています。

寄附については、おそらく紙の本の重版はもうかからないと思われるので、印税をもとにした100万円規模の寄附は、今年度が最後になりそうです。今後は、電子版での印税などで発生したものも、2015年以降も継続して寄附していく予定です。任意団体をもっておらず全て僕個人に委ねられているため、責任もって、5年後の2016年3月を一つの区切りとしてレポートなどを執筆し、最終報告書を作成したいと考えています。

震災の1ヶ月前、まだ僕は19歳で、その後の2ヶ月間で法人設立と出版を経験し、20歳のときに個人の所得を大きく上回る寄附をするというのは、とても稀有な体験でした。

税務上の寄付控除については、国により日本赤十字社の義援金等の場合は特定寄附金というものが設けられており、その全額を損金として認められていますが、当時は通常の義援金のトレーサビリティについて不明なところもあったため、僕は被災遺児・被災孤児のために目的が明確化されている活動団体、財団法人、宮城県・福島県・岩手県などの自治体が設ける特定基金に対して、寄附を実施しました。

僕が選んだ寄付先は、以下のとおりです。

▼ハタチ基金 活動報告書および収支報告
http://www.hatachikikin.com/annual_report

▼東日本大震災みやぎこども育英募金
http://www.pref.miyagi.jp/site/ej-earthquake/kihukouza.html

▼東日本大震災ふくしまこども寄附金
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=25125

▼いわての学び希望基金
http://www.pref.iwate.jp/shien/shienjigyo/14902/003243.html

上記の団体・自治体の一部については、通常の所得税法第78条第2項第1号の規定に基づく寄附金控除の対象となり、個人においては年間所得の40%を上限として寄附控除となり、個人に多額の税負担がかかってしまいます(所得税はいいのですが、地方税には特例が無かったりすることも多く、個人で数十万円規模で税負担することになりました)。顧問税理士と相談の結果、なるべく多くの金額を被災地に寄付するためには、学生の僕は収入も所得も非常に少ないですので、年間に寄付できる金額の上限を100万円として、数年間にわけて寄附を行うことにしました。このことは、結果的に一度に1つの団体に全額を寄附するよりも、毎年、各団体の活動報告書並びに自治体の会計報告書を読みつつ、次年度の寄付先を慎重に選定するということができるという意味で、よかったと思っています。

出版後、Webサイトや本ブログから書籍の紹介リンクによる収益は、約8万円になり(1000円の本が1冊売れても紹介料は40〜50円程度の小銭ですが、塵も積もれば山となるで、Amazonでは1500冊近くほど買って頂きました。)、印税での寄附に加え、これを書籍の寄贈を行うための費用の一部として、捻出することができました。この収益に個人寄付を加えて、避難所ならびに被災4県すべての高等学校に対して、2011年5月に100冊(10万円)を寄贈いたしました。講談社からも、支援の一環として1000冊が寄贈されています。実際に震災から2か月後に編集者とともに、避難所や航空自衛隊松島基地、小中学校等をまわって手渡ししてきました。(その後、当時の防衛大臣の森本氏から、光栄にも感謝状をいただきました)

僕は独学で技術を学び仕事を始め、16歳のときに所得税を納め始めたことをきっかけにして、自分の身の丈に合わない収入があるなと感じたときは、世界各地で起こった災害などに、微力ながら支援しています(自己満足かもしれませんが)。自分の人生で最初の寄附は、2004年(当時13歳)に起こったスマトラ島沖地震のときでした。初めてジャパンネット銀行の口座を作ったときかな、と記憶しています。毎年やっている個人としての寄附行為については、あくまで一人の地球上の市民として、小さな善意のもとでやっていることなので、普通は他人に言ったりしません。わざわざ「良い人アピール」するかのように、ブログにも書いたりもしませんが、本件(Webサイトの書籍紹介リンクについての目的及び使途)については、ご指摘や誤解があったため、上記をもって明確にしておきます。

アフガニスタン「私たちは貧しいが、日本が危機のときは、進んで助けになりたいと思っている」

アフガニスタン「私たちは貧しいが、日本が危機のときは、進んで助けになりたいと思っている」

本書78ページより。ジプチ共和国。

アフリカ北東部の小さな国「ジプチ共和国」では、日本国政府が90年代に行った援助により整備された「東京広場」にて、ゲレ大統領の下「日本国民との連携の一日」を開催した。

このような諸外国の支援表明の事実は、日本のメディアではあまり報道されず、報道されても、すぐに忘れられてしまう。本書には、必ず残しておくべき記録として、こうした写真・自衛隊が活躍している写真などがたくさん収録されています。

震災後に何度か訪れた女川町の光景や、避難所の様子を思い出します。そして、あの街全体を漂わせていた「匂い」は、一生忘れられません。インターネットメディアや新聞、テレビでは伝わらないものがありました。

先日、2014年分の寄付を福島県にするために、渋谷の三井住友銀行の窓口に100万円の現金を持っていったら、僕があまりに童顔すぎるのか(苦笑)、身分確認や質問(このお金の出元についての質問など)がとても厳しくて、怪しまれたすえに、なんとか無事に振り込んできました。ネットバンキングで振り込むことも可能でしたが、実際に現金として持っていくと、本を買ってくれた人から印税である数パーセントずつの「預かっているお金」という、その重みを感じました。最後に窓口のお姉さんから「いつかきっと、何らかの形で自分に還ってきますよ」と言われたとき、泣きそうになり、こみ上げてくるものがありました。実はここ数週間の間、数千件もの誹謗中傷の書き込みや風説の流布、自宅の住所・電話番号など個人情報を記載した嫌がらせメール、民事だけでなく刑事事件としての脅迫(身の危険を感じたので、すぐに110番通報しました)、自宅やオフィス前の不審者の訪問、実家の両親の氏名・電話番号・プライバシー侵害、非通知からの無言電話などが、残念ながら今日も続いています。その程度の煽りの耐性はついていますが、さすがに脅迫の書き込みや、まったく無関係の友人への名誉毀損まで波及すると、法的にも全面的にスルーするのは難しそうです。僕も未成熟な弱い人間ですから、そういったネガティブな言葉を受けて、何度か心も折れそうになりましたが、そのときに読者から届いた沢山の手紙がやはり励みになりました。今後もときどき深呼吸して自問自答を重ねながら、正しいと思う選択を続けていきたいと思います。

本の出版という話が入ったとき、「このコンテンツを、出版業界の経済活動の上に載せるべきなのか?お金が絡むのはよくないんじゃないか。」「自分はあくまで無名のキュレーターであって、ストリーミングするWebサイトの仕組みを作っただけなのに、監修者として印税を一時所得として受け取って良いのか?」という疑問や自問自答を重ねて、当初すべてお断りしました。僕はインターネットの技術やテクノロジーが、社会に与える良い影響について日々考えている人間であり、本を作るような身分ではないと。でも、信頼できる編集者との出会いがありました。本の発刊日は不安でいっぱいで、個人に対する批判も2割くらいは絶対あるだろうという前提で、編集作業を進めていました。たとえネットで炎上して叩かれようが(実際に、記者によって内容が”盛って”書かれた新聞記事で、僕が”被災者”と表現されたことにより「エア被災者の慶應生が〜」とか匿名掲示板にスレが立ちましたが。)それ以来、たとえ個人が偽善者と罵られてもいいやと、ある種の覚悟がありました。世界の中でめぐりめぐって、この約500万円という寄附金が(100億円を寄附した孫さんと比べると少額かもしれないけど)分配されて、本当に困っている人たちの手に渡り、生活の支えとなるということ。また偶然本を手にとったことにより、「人生で、本当に大切なものは何だろう?」という想いの反芻や、良い感情が芽生えるということを想像することが、僕にとって、これまでの3年間を耐えていく上で、唯一ともいえる心の支えでした。あらゆる批判、そして自分自身も受けている心の傷に対して、その想像力が凌駕しています。

当時、「東日本大震災チャリティー◯◯」といった感動エピソードをまとめた類似本も多数出たなかで、本書は「地震」「津波」「震災」「被災」といった言葉を、本のタイトル・帯などに、一言も入れていません。(出版社の販売・宣伝部からは反対の声もありましたが、監修者として強く意向を伝えました)。言葉が持つ力というのは、ふだん人の意識の上ではあまり感じないかもしれないけど、心に対しては大きな影響力を持っています。「津波」というたった2文字の漢字(キーワード)でも、現場で被害を受けた方々にとっては、聞くだけで動悸が走るような、非常に影響力のある言葉であり、心のケアを目的とした本のコンセプトとして、絶対に使ってはいけないものでした。何年か経った後に読み返して、センセーショナルなキーワードが多数用いられていることにより、つらかった記憶を思い出してほしくはありません。逆に、震災時に起こったエピソードの中でも、優しい言葉や、優しい表現をじっくりと選定して、編集しました。ジャーナリズムを求める方は、新聞社が出している震災の写真集を買えば良い話であり、この本のターゲットとはまったく異なりました。

結果的に、インターネットを利用しないお年寄りの方をはじめ、多くの人たちから、想像を超える(想像の100倍以上)フィードバックがありました。現在までに600枚近くの感謝のハガキが届いています。一方で、批判的なコメントはAmazonのレビュー欄で2件ほどでした(※ 現在は、僕個人の嫌がらせ行為の延長として無造作に荒れているようで、とても残念ですが仕方ないです。)被災地に住んでいる80代のおばあちゃんから、震える文字で「生きる力が湧いてきた」と手紙を頂いたとき、本にしてよかったと心から感じました。また、贈り物として2冊ずつ買っていただいた方が多かったり、子供を持つ母親の読者が多かったです。

iOS、Androidアプリがありますので、もし興味がある方はご覧ください。アプリ版も紙の本と同様、印税が全額が寄付されます。アプリでは、本を買って頂いた方から届いた読者ハガキも59枚ほどスキャンして収録されているほか、スキマスイッチの常田真太郎氏が、本書のために書き下ろしで作曲していただいたピアノ・ソロの楽曲が、収録されています。

iPhone・iPadの方(App Store)
Androidの方(Google Play)

今日の14時46分は、静かに黙祷を捧げたいと思います。

2011年10月、中学3年生の女の子から届いた手紙

2011年10月、中学3年生の女の子から届いた手紙

僕のデスクの前には、3年間ずっと、1枚の手紙が貼ってあります。中学3年生の女の子から届いたその手紙は、「読者ハガキ」には内容が収まらないからという理由で、便箋2枚が添えられて送られてきたものでした。「偶然、本屋さんでこの本と出会い、私にとって1000円は高いものの」から始まり、「自分の生き方を改めようと自然に思えるようになった」と書いてあり、「ありがとう、ありがとう」という言葉で締められていました。この子は来年くらいに、大学生になるのでしょうか。この女の子が、財布から出してくれた貴重なお小遣いの1000円の中から、80円か90円相当が、被災地の復興支援に向けて適切に使われていくために、(いろんな意味で、この本を世に送り出してしまった)自分が背負っている使命だと、改めて感じます。普段の日常生活、自分の生き様、仕事などにおける、あらゆる意思決定のときに「本当にこれで良いんだろうか?」を考える上で、ときどきこの手紙を眺めていると、おのずと答えが見つかります。

多くの読者の方から、なぜか監修者である僕のほうが勇気をもらい、学び、僕自身の人生や価値観が、大きく変わりました。23歳になったばかりの田舎出身の僕が一人で出来ることは、とってもとっても小さなことかもしれないけれど、それでもこれからも支援を続けます。今日 (2014/3/11)、prayforjapan.jp に訪問があったユニークユーザーの数☓1円を、個人的に寄付をしようと考えています(たとえ、30万や50万アクセスだったとしても)。印税での寄付が終わりつつある今、来年以降は個人として、毎年そういったルールのもと何かアクションができれば良いかなと思っています。アクセスログを見ると、東北からの訪問が多いので、そのまま支援につながればいいなと思います。

2010年8月に起こった北インド・ラダックにおける大規模な災害に、現地で居合わせたときの僕の取材レポート(http://www.mocchiblog.com/?p=5329)も、合わせて読んでみてください。わずか半年の間で、自分の大好きな土地が2回も災害に見舞われてしまい、居た堪れない気持ちとなりました。3.11から半年前のラダックでの出来事で、「自然の猛威」「自分の無力感」を心の底から感じていた僕は、被災地にボランティアとして直行し瓦礫を撤去するという選択肢ではなく、多くの人に影響を与えられるWebサービス・本の出版によって被災地の方々の心のケアの一助や、被災遺児・被災孤児たちの継続支援という選択肢を選びました。大切なのは、「いつ起こるか分からない、次の有事の際に自分がどういったことができるか。以前の出来事から、自分は何を学んだか。」を常日頃からに考え続けることだと、強く思っています。

あらためて被災地の皆様に、追悼の意を表したいと思います。

2014年3月11日 鶴田浩之