世界にはいろんな目の覚め方があるが、騒がしいクラクションの音で目が覚めるというのはあまり良い目覚め方とは言えない。朝7時、目覚めたらそこはインドだった。別に目覚める前はインドじゃなかったという事実があるわけじゃないけど、とにかく目が覚めた時そこがインドだというのは不思議な感じがした。昨夜は疲れすぎていてあんまりインドに来た感覚が分からなかったのだ。でもカーテンを開けてメインバザールのカオスっぷりを再び目にすると、「ああやっぱりインドなんだね」って思えるのだった。

ニューデリーのメインバザールはあちこち工事をしていて、道はゴツゴツ岩が転がっていて、左右の建物はほとんど崩壊していた。地震のあとのように道が瓦礫だらけで自転車も通れず、電柱は倒れ、道端のゴミには蝿がたかっている。どうやら再開発が進んでいるらしい。デリーで今年10月から、第19回コモンウェルスゲームズが開催されるからとのこと。コモンウェルスゲームズとは何ぞや、という僕はWikiで調べてみた

とはいえ、もう少し丁寧に工事することはできないのだろうか。工事が済めば、綺麗なメインバザールになっているのだろうか。「綺麗なメインバザール」と僕は口に出して言ってみた。どうも腑に落ちないな。来年行くとまた雰囲気ががらっと変わっているかもしれない。

朝ごはんに、バナナやマンゴーを食べた。なんとマンゴーが15Rsなのだ(30円)しかも当たり前のように美味しい。7月に石垣島で食べたお土産用のマンゴー(1個1500円)とまったく変わらない品質だ。齧りつくとじゅわーっと広がる甘さ。そう、もはや安すぎて丁寧に切ってフォークで食べる種類のものではない。手でむいてかじるくらいの気持ちでいられる。果物は、やはり世界共通の味なのだと感心した。この旅で、何度かマンゴーにお世話になることになる。インドの食事があわない人や、熱中症やお腹を壊して食欲不審に陥った場合は、バナナやリンゴやマンゴーを食べてみるといいと思う。もちろん綺麗に洗ってから。

9時すぎにシゲタトラベルのラジェンダさんのところに行って、鉄道のチケットを手配してもらった。ニューデリー発バナラシ行き、Shiv Ganga Exp.2560の3等車両を予約。本日夕方18:45発で、約12時間の寝台列車。明日の朝早くからバナラシで行動ができる。電車代はバナラシまで約1000Rs(2000円)

それから向いのMalhotra Restrauntでブランチ。

ここのトーストは美味しかった。名前は忘れたけど、トーストの中にトマトとオニオンが挟まれている。オムレットは美味しくなかった。コーヒーは全然美味しくなかったけど、まろやかさという点で評価すれば完璧なまろやかなコーヒーだった。2年前にこのお店で日本人バックパッカーと出会って一緒にランチをとった記憶がある。また2年前はこの店で日本人のおじさんと出会い、「今からレーに行くんです」って言うと「寒いからこれをどうぞ」と、アシアナ航空でパクってきたというブランケットを貰った記憶が鮮明に残っている。

とりあえず18時の電車まで時間があるので、地下鉄でコンノートプレイスに向かう。以前訪れたときはインドで豆腐屋を開業したちべまろさんに色々と案内してもらって。その記憶を頼りに地下鉄に乗り込み、移動する。地下鉄の一駅の料金は8Rs(16円)地下鉄は切符ではなく、磁気の入ったプラスチックの、100円玉サイズのチップをもらう。これをかざして入り、出るときに回収され、再利用される。ゴミが出ない。

コンノートプレイスも工事だらけで、砂埃にまみれながら道を歩いて行ったが、めぼしいものはあまり見当たらず。ブランド品のお店やショーケースが並んでおり、バックパッカーにはあまり無縁の場所だ。とりあえずマクドナルドで作戦会議をして体制を整えて、インド門に向かうことに。リクシャーを拾って、インド門まで約15分。


インドにもマックはある。ソフトクリームが10Rs。美味しくいただきました。

やはりインド門は観光地ということで、観光客の数に応じて物売りや、写真撮りの声かけが多かった。竹とんぼみたいなやつを必死で売りつけてくるお兄さんもいた。「ほらすごいでしょ」と見せてくる。無視して歩く我々の横で、必死で竹とんぼを飛ばしている。「1つ20ルピーだよ!」「いらない」「じゃあ2つで20ルピー!」「いらないってば」「じゃあ5でどうだい?」「いや5つもいらんやろ!w」って日本語で突っ込んでみたり。

謎のピンクの綿菓子のようなものをもって、笑顔でこっちに歩いてくるおじいさんもいた。

とにかくインドは歩いているだけで面白い。退屈しない国だ。それを人は「疲れる」とも表現できる。疲れるか、楽しめるか。それはこちらの考え方や姿勢次第なんだろうと思う。リクシャーに乗るときもわざわざ事前に値段交渉しなきゃいけないし、きちんとしたレートでいってくれるのは極稀で、たいてい観光客には法外な金額をふっかけてくる。その値段交渉というのはやっぱり何度もやってると疲れるのだが、それも楽しむつもりでいなければ、インドは旅できない。そういう国なんだ。


リクシャーのおやじ

次の目的地であるフマユーン廟に向かう。インド門からフマユーン廟までのリクシャーのおやじは、フレンドリーなのか悪徳なのかよくわからない。いろいろ写真を撮ってくれたり案内してくれたり優しかったけど、結局お土産屋に連れていかれた。「お土産はいらんからフマユーンにいってくれよ!」とだいぶ説得して、ようやく目的地についた。

フマユーン廟。ムガル帝国第二皇帝の廟、世界遺産。イスラーム建築の傑作だと言われるだけあって、壮観でした。

近くの森にはシマリスがたくさん。ひょろひょろと動き回っていて、可愛かった。

インド門とフマユーン廟で3時間ほど過ごしたあと、ニューデリーに戻る。リクシャーを使えばよかったんだけど、ローカル列車で行こうということになって、駅まで40分以上歩くことになったあげく電車も20分遅れ。乗り方がいまいち分からず、何人かに聞いてようやく把握できた。そう、近代的な地下鉄とは違って、ローカル鉄道の駅には改札が存在しない。切符がなくても乗り込める。車内で、ランダムで抜き打ち検査があるらしい。切符を持っていないと罰金があるので、旅行者はちゃんと切符を買うようにしよう。

駅のホームでは、地面に死んでいるように眠っている女の人や、物乞いの子供たちがいる。電車が来るまで約30分、6〜7歳くらいの女の子に「ルピー」「ルピー」「いれてください」と日本語で言われ、手をつかまれて、お椀を前に出してくる。物乞いとどう向き合うか、インドでは避けられない問題になる。与えるのは簡単だけど、それが必ずしも正しいわけではない。世界はもっと複雑なのだ。職業的物乞いさえいる。かといって、与えない主義を突き通すのも難しい。しばらく女の子と話していると(とはいえヒンディー語だからほとんどわからないのだけど)時折笑顔をみせてくれた。幸せそうな笑顔だった。それでも最後まで相変わらず「いれてください」と拙い日本語で話しかけてくる。電車に乗り込んで動き出すと、手を振ってバイバイと言ってくれた。

日本の子供たちは恵まれてる、と簡単に言いたくはないけど、でも海の向こうには「生きる」ということに関して必死にならなければならない世界があるのは事実だ。人は、生まれる場所は選べない。

さて、インドのローカル列車だけど、非常にシュールだった。おやじ達が真ん中でトランプをし、上の荷物棚に横になって寝ている青年もいれば、駅でもないのに途中から乗り込んでいるやつもいる。ニューデリーまでわずか3駅だけど途中で何度も止まったりして(動いている時間より止まっている時間のほうが長かったように思える)20分以上もかかった。山手線は素晴らしい。東横線も素晴らしい。隣に座っていた青年は優しい人で、次がニューデリーだよと教えてくれた。

メインバザールに戻ってから、少し急ぎ足で宿に戻り、切符を受け取り、再び駅に向かう。そこで同じ電車でバナラシに向かうという日本人のみゆきさんと出会った。彼女はインド3回目にして、ここの地に住むことを決めたそうだ。前回来たときにバナラシの日本料理レストラン(地球の歩き方にも載っている「Sala」という店)で半年ほど働いて、今回からインドに住んで、ヒンディー語を勉強するためにバナラシ・ヒンディー大学(BHU)に3年間通うそうだ。バナラシ・ヒンディー大学は名門で、すごく大きな大学。大学の敷地内に寺院があったりする。彼女と一緒にタクシーをチャーターして、駅まで4人で向かう。

急ぎ足だったけれど、18:45初のバナラシ行きの寝台列車になんとか間に合った。これから12時間の列車の旅になる。3等車両の3段ベッド。インドでの長距離列車は初めてだったから、覚悟して乗り込んだのだけど、一緒のボックスの人たちはみんな優しくてフランクな人たちで、バナラシのお薦めスポットについてや、お互いのことについてたくさん話した。12時間のうち8時間は寝ていたけど、残り4時間一緒にいろんな話をして密な時間を過ごせた。

こうして夜行電車は、遅れもなくバナラシについた。

2010年インド・ラダックの旅の記事一覧